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2020年06月09日

「平和展」中止のお知らせ・「平和展」資料(写真)掲載

「平和展」中止のお知らせ

6月23日の慰霊の日に合わせて毎年6月に開催している
「平和展」及び「平和学習会」について、
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今年度は中止となりました。

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「平和展」資料(写真)掲載

当館ブログでは、平和展で展示予定だった資料を一部公開します。

◆久米島に飛来した航空機とその後
 戦時中の久米島には旧日本軍の航空機が不時着していることが、当時の日記や戦後の聞き取りで判明している。
 旧仲里村側の銭田にも5機ほど飛来している。本資料も銭田で収集されたものである。
【写真1】.航空機の主翼の一部か?
 ↑ 【写真1】.航空機の主翼の一部か?

【写真2】一定の間隔で設置されたL字の金具、それを固定する無数の鋲
 ↑ 【写真2】一定の間隔で設置されたL字の金具、それを固定する無数の鋲
【写真3】残がいの断面はH型
 ↑ 【写真3】残がいの断面はH型

【写真4】腐食状況 銀色の部分は黒く錆びずにささくれたり、薄く割れていることが分かる
 ↑ 【写真4】腐食状況 銀色の部分は黒く錆びずにささくれたり、薄く割れていることが分かる

 主翼の一部らしき残骸は全体的に銀色で錆びは見られないが、薄く割れて層状になっており非常に脆い。錆びないことや腐食からジュラルミンであると考えられる。戦後の沖縄では、加工の容易なジュラルミンを溶かして日用品に作りかえて利用された。
 他にも、航空機の燃料タンク(増槽)を利用したタンクブニと呼ばれる船もある。
【写真5】ジュラルミンを再利用した羽釜やヤカン
 ↑ 【写真5】ジュラルミンを再利用した羽釜やヤカン

◆薬きょうの再利用について
 空襲時にアメリカ軍航空機から発射された機銃の空薬きょうがいくつか採集されている。これを戦後に加工した資料は久米島ではみられない。しかし、砲弾の空薬きょうを再利用した資料を確認することができる。燃料を入れて灯をともすランプ、夜間の漁に使うテーランプ、火を他に移動する際に用いる火取りである。
【写真6】機銃の空薬きょう
 ↑ 【写真6】機銃の空薬きょう

【写真7】左奥-ランプ、右奥-火取り、手前-テーランプ
 ↑ 【写真7】左奥-ランプ、右奥-火取り、手前-テーランプ

◆米軍政府下の久米島で発行された資料
 〔久米島切手〕
 敗戦後の昭和21年10月、久米島郵便局を再開する際に発行されたのが「久米島切手」である。当時の郵便局長 喜久里教文によってデザインされた。久米島郵便局が沖縄民政府の管轄下に置かれる昭和22年5月までの短期間で用いられた。
 切手の作成には、敗戦後、米軍管理下で久米島郵便局が久米島島民の困窮を解決するため、貯金払戻、送金業務の再開に尽力した背景があり、敗戦直後の米軍統治に移行する久米島の情勢が分かる貴重な資料である。本資料には久米島7銭と見え、中央に久米島郵便局長の印が見える。
【写真8】久米島切手
 ↑ 【写真8】久米島切手 KUMESHIMA 7SEN

 〔久米島紙幣〕
 「久米島紙幣」は軍政府が昭和20年8月1日に発行した援助物資引換券である。5円、3円、1円、50銭、10銭の5種類があった。久米島は沖縄本島と比較して生活基盤の損壊が激しくなかったため、本島のように無償提供ではなく労務対価として支給された。紙幣には金額と大尉の署名がみられる。
 昭和20年10月26日の米軍撤退に伴い、回収処分となったため現存する資料は少ない。当館では1円と10銭の久米島紙幣を保管している。
【写真9】久米島紙幣(壹圓)
 ↑ 【写真9】久米島紙幣(壹圓)
【写真10】久米島紙幣(拾銭)
 ↑ 【写真10】久米島紙幣(拾銭)






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Posted by 久米島博物館 at 12:00 │展示会のお知らせ